BLOG 父親
私は、多分とても幸せな家庭で育ちました。
父親は仕事中心の人でしたが、とても一生懸命仕事に行く姿に、かっこいいなぁと小さい頃思っていました。
仕事の内容はあまりよくわからなかったけれど、よく職場の人の話はしてくれました。
前に父親と話す機会があって、父親から言われた事が、仕事に夢中になりすぎて、それが正しいし、家族の為だと思ってたけど、よく考えたら、子供の参観や運動会に行った記憶は幼稚園までしかないな… もっと成長を見れば良かったなと思うと。
うちの父親は、私たちが小さい頃は本当に子煩悩だったそうです。
自転車に乗る時、前のカゴに兄を入れて、母を後ろに乗せて、母が抱っこする私は必ず外に向けて抱いていたと。なぜかというと、子供2人には視野を広く、色んな物を見てほしいからと。父親が私を抱っこする時も、常に外に向けて。
父親は、同じ会社で定年まで勤めて、その後、子会社である程度の地位までいった人です。
すごく真面目で、堅物な人で怒ると怖かった。私はほとんど怒られた事はないけれど、兄が、少し遊びに夢中になりすぎていた頃、俺には何考えてるかわかれへん…って言うくらい、道を外れた事のない人です。
そんな堅物で真面目な父親が、子供には飛び立ってほしいと願っていたと知ったのは、私たちがかなり大きくなってからです。パティシェになる事も、父親は反対しませんでした。
久美子が選んだ事なら、と、いつも言ってくれます。
ハワイに会いに来るために、私には内緒で心臓の手術をしていたらしく、それを知った時は、ほんとうに感謝しかなかったです。
そんな堅物で真面目な父親ですが、定年を迎えた日、帰ってきて整理していた定期入れの中に、母親の若い時の写真がボロボロになって入っているのを見つけた時に、心の底から尊敬しましたし、母親はなんて幸せな人なんだろうと思いました。
まっ 多分父親が想像していたよりも、子供は2人とも職人となり、自由に羽ばたいてしまっていますが…
コロナで今は少し会えていないですが、こらからも元気で長生きして、またハワイに行ってほしいなと思っています。
孫を見せてあげる事が出来なかったので、何か違う親孝行が、この先出来ればなぁと思っています。